てらまち学Vol.1 尼崎城主 青山幸利から学ぶ尼崎らしさ を開催しました。

2018年9月から10月に、尼崎を知る、もっと楽しむための歴史文化講座「てらまち学Vol.1」を開催しました。今年から新たに始まったこの「てらまち学」プログラム。

寺町・開明町エリアに「住み続けたくなる」「訪れたくなる」きっかけとして、今まで知らなかった地元・尼崎の歴史や文化を楽しくひも解きます。今回は、今年3月に尼崎城が再建されたことにも通じるテーマ、尼崎2代目城主の青山幸利(あおやまよしとし)にまつわるエピソードから、尼崎らしさを考えました。

てらまち学Vol.1のプログラム

全2回の講座には、2名の講師にお越しいただきました。

1人は昨年度よりご協力いただいている、尼崎市立地域研究史料館の河野さん。歴史解説をしていただきました。もう1人は、これまで記者やライジオ放送部長、宣伝部長を務められた後、グッドニュース情報発信塾の塾長としてご活躍され、講談作家の肩書を持つ大谷さん。講座のファシリテーションと、尼崎ご当地講談の制作をしていただきました。

第1回(9月26日)では、まずは青山幸利の生きた時代を知るため、尼崎や尼崎城にまつわる歴史を学びました。第2回(10月10日)では、史上に多く残る幸利のエピソードをひも解きながら、ご当地講談の制作に向け、尼崎らしさについて考えました。

2回の講座終了後、ワークショップの中で集めた「尼崎らしさ」のキーワードをもとに大谷さんにご当地講談を制作いただきました。その尼崎ご当地講談は、11月11日、地域のお祭(サンシビックまつり@サンシビック尼崎)のステージでお披露目を実施。5代目旭堂小南陵師匠に演じていただきました。

第1回

青山幸利の生きていた時代とは?
(2018年9月26日)

9月26日に大覚寺の能舞台で第1回目の講座を行いました。

まずはこれから全2回の講座で生まれる講談について、基礎知識を学ぶことからスタートしました。大谷さんによる講談基礎講座の中で、動画も交えながら講談とは何かを教えていただきました。

「講談」と聞いてパッとイメージがつく方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。なんと、関西の中で講談師の数は20名。古典芸能と言われる講談の起源は戦国時代のお伽衆、平安時代の仏法説話にまでさかのぼります。江戸時代から明治初期頃にかけて人気を博し、戦後に GHQが講談の上演を禁止して、現在に至るそうです。

講談とは何かを学んだ後は、河野さんによる歴史解説。尼崎城、尼崎藩、そして城下町尼崎について教えていただきました。

まずは、元和3年(1617年)に戸田氏鉄によって築城された尼崎城にまつわる歴史について。萩原一青による尼崎城天守図や敷地図を見ながら当時に思いを馳せ、学びました。尼崎城の敷地面積は甲子園球場の3.5倍もあるそう。また、戸田氏鉄は「築城巧者」と言われるほどの城づくり名人で、将軍が尼崎城を視察に訪れた際にはご褒美を与えられたそうです。

そんな城主たちが治めた尼崎藩ですが、江戸幕府にとっては西国を治めるための政治的・軍事的な拠点として重要な場所だったといいます。「尼崎城は東西咽喉の地にして大坂城の先鋒たり」という言葉も残っており、これは青山幸利の代に将軍から贈られた言葉と伝えられているそうです。

続いては、尼崎城周辺の城下町の歴史について学びました。尼崎城下は、中世の港湾都市空間を取り込んだと考えられているそう。戦国時代の尼崎は砂洲で、埋め立てることで築地町を建設し、また、現在の寺町は城下町築造の際に寺院が移転されたことで誕生するなど、都市空間が新たにつくられていったそうです。

尼崎城下町の商家に目を向けてみると、魚問屋、塩問屋、材木屋、質屋、旅籠屋、煎茶茶屋などに加え、酒造家があり、酒造地帯の一面もあったといいます。また、海が近いということもあり、江戸時代からいわしやカレイ、鳥貝、ハマグリなどが近海で漁獲されていたそうです。尼崎の伝統料理と言われる「天ぷら」も、尼崎地域がかつて魚の集散地として栄えた歴史を感じさせる名物、と言えそうです。

尼崎の歴史を河野さんに教えていただきながら、今回なぜあえて2代目城主の青山幸利にスポットを当てるのか、最後にその理由をお話しいただきました。

尼崎城を建てた戸田氏でも、現在も桜井神社などのゆかりの地が残る桜井松平家の城主たちでもなく、なぜ幸利なのか。それは、幸利こそが戸田氏鉄がつくった大坂の西の守りの土台を実施に機能させた人物であり、尼崎城や尼崎の歴史において重要な人物であるから。近年の研究では彼を「西の幕閣の1人」だと考える人もいるそうです。なんでも、江戸幕府に顔パスで入ることができる数少ない城主の1人だったとか。

また、青山幸利は他の城主に比べ史上に多くのエピソードが「青大録」や「青大実録」といった言語録に残っているそう。後の時代に人物を褒めることを目的に編纂された2次史料のため、信ぴょう性が怪しい部分もあるそうですが、武勇伝だけでなく、日常の一コマが記録されていることからも、興味深い人物であることを紹介いただきました。

レクチャーの後は、6名程度のグループに分かれ、尼崎の印象について共有しました。

次回は、幸利の具体的なエピソードをひも解きながら、彼の人柄やそこに通じる尼崎らしさを考えていきます。

<番外編>

実は今回の講座参加者の中には、青山幸利のご子息もいらっしゃいました。事務局スタッフも聞いてびっくり!ありがとうございました。また、大覚寺の岡本住職によると、青山家は東京にもゆかりがあり、尼崎との交流も深いそう。掘り下げて見てみると、歴史のつながりが現在にも続いており、興味深いですね。

第2回

青山幸利ってどんな人?
(10月10日)

10月10日、大覚寺の能舞台で第2回の講座を開催しました。

まずは大谷さんによる講談レクチャーからスタート。講談の醍醐味の1つ「修羅場読み」について、実演も交えながら紹介いただきました。リズム良く、勢い良く話が展開していく様は圧巻でした。また、創作講談の例として「大奥誕生物語」を大谷さん自ら音読いただきました。

今回制作いただくご当地講談がどのように演じられるのか、参加者のみなさんも楽しみな様子でした。

続いては、河野さんによる歴史レクチャー。第1回の講義の中でも青山幸利のエピソードは少し垣間見られていましたが、今回は様々な史料の中から選りすぐりのお話を紹介いただきました。

まずはてらまち学Vol.1のチラシのモチーフにもなっている、尼崎城を見ながら涙する幸利のエピソード。毎朝天守を眺めては、立身してこれほど美しい城を預けられる城主となったことを身に余る思いだ、と感極まって涙していたようです。心優しい人柄が想像されますが、その他にも、溺れそうになっている鷹匠を自ら水に飛び込んで助けたという記録も残っているそうです。

ただ人情深いだけではなく、義理深い一面も持っているのが幸利。大坂城に落雷があり、家事が発生した際にはその音を聞きつけ、即座に支援の策を部下に伝えて実行させたと言います。大坂城の修復の担い手を幸利を含む3名の大名の中からくじ引きで決めるように言われた際には、「くじ引きでの奉公なんてこれまでしたことはありません!一番破損箇所の多い多変なところは私がいたしましょう!」と率先して立候補をしたとか。

また、江戸城火災の際には幸利自らが馬を走らせて駆けつけ、将軍のために力を尽くしたというエピソードもあります。その際、許可証を持参しなければ門の内側に入ることができない規則のところを強行突破し、「幸利だから仕方ない」と、お咎めを受けることなく済んだという話からも、彼の人柄が想像できそうです。

感動的な武勇伝の他にも、クスッと笑ってしまうようなところがあるのも幸利ならではでしょうか。

一国の城主といえば、優雅な暮らしが想像されますが、実は、幸利の性格はそうではなかったようです。布団は木綿1組だけしか持たず、尼崎城でも参勤交代中も、江戸においても同じものを使用していたそう。替えの布団を作ってくださいという侍従の声をよそに、使い込まれてぼろぼろだったとか。

その他にも、夜は蝋燭ではなく油火を自分で持って移動したり、雨天時には竹の子笠を使用するなど、家老中が何を言っても聞かなかったといいます。一言に「ケチ」とは言えませんが、こうした倹約家な姿は国を思ってこそのことだったとも考えられており、有事の際のための備えや人材育成のためだったとも言われています。

また、幸利は尼崎に対する愛着もひとしおだったようです。参勤交代などで尼崎を離れる前夜、決まって食べるのは尼崎のお蕎麦。城主だからといって特別な者は食べず、侍従らに混ざってお蕎麦を美味しそうに食べたという話も残っています。

河野さんによると、これらのエピソードはごく一部で、史料には70以上の話が書かれているということでした。

歴史講義の後は、いよいよ参加者のみなさんと一緒に、尼崎らしさについて考えるためのワークを行いました。

大谷さんによるファシリテーションのもと、幸利を現在の有名人で例えるとどのような人を想像するかという質問や、幸利のエピソードから見える尼崎の人らしさ、尼崎の色や音はどんなものか、という質問などを投げかけながら、さまざまな角度から「尼崎らしさ」を掘り下げて行きました。

参加者から多く聞かれたのは、お笑いや商業など賑やかなまちであるということ。公害などの悪いイメージもありますが、一方で幸利のエピソードにも見られたように、人情深い、義理深いところもあるという意見も挙がりました。

参加者のみなさんから出されたキーワードをもとに、大谷さんには11月のサンシビックまつりに向け、ご当地講談という形で尼崎らしさと魅力の詰まった作品を仕上げていただきます。「楽しみに観に行きます!」という声も参加者のみなさんから多くいただきました。

<番外編>

大覚寺はからくり人形も有名なのですが、住職のご好意で、休憩時間に実際にカラクリを見せていただくことができました。夜の空を背景に、精巧なからくりが繰り広げられる、貴重な時間となりました。

ご当地講談お披露目会

(2018年11月11日)

11月11日、サンシビック尼崎で催されるサンシビックまつりのステージ発表の舞台で、尼崎ご当地講談会を行いました。

全2回のてらまち学Vol.1講座の参加者のみなさんと一緒に考えた「尼崎らしさ」の視点を盛り込みながら、尼崎城主 青山幸利のエピソードを講談にまとめました。

制作いただいたのは、講座でファシリテーターを務めていただいた大谷さん、歴史監修は歴史解説をいただいた河野さん。そして、お披露目の舞台で講談を演じていただいたのは、此花など、関西を中心にご活躍されている5代目旭堂小南陵師匠です。

会場には、始まる前からたくさんの地域の方が集まってくださり、大ホールは満席となりました。100名を超える方にご参加いただきました。

そして、お披露目を待つステージに降ろされた緞帳には尼崎城が。今回のために用意されたものではないのですが、尼崎信用金庫からの寄贈で以前よりサンシビック尼崎のステージに設置されていたそう。普段は緞帳が上がっていることが多いため、地域のみなさんにも緞帳に描かれた美しい尼崎城を見ていただける絶好の機会となりました。

お披露目会が始まると、まずは今回のご当地講談が誕生した経緯を、大谷さんと河野さん、事務局からご紹介しました。2回の講座にご参加いただいた方もお披露目会に駆けつけてくださっていたため、どのような作品が完成したのか、会場からは熱い視線が向けられていました。

ついに緞帳が上がり、お囃子が鳴り始めると、ステージ上に5代目旭堂小南陵師匠が登場。気持ちよく通る声と釈台を叩く音に、会場は一気に引き込まれていきました。感動あり、笑いありの、あっという間の約30分間。講談が終わった後には、客席から大きな拍手が送られていました。

幕が降りた後には、大谷さんと河野さん、5代目旭堂小南陵師匠に改めてご登場いただき、講談の制作秘話を伺いました。講座参加者のみなさんで考えた「尼崎らしさ」に通じる幸利のエピソードの数々が、講談の中でどのように表現されているのか。来場者のみなさんが興味深く耳を傾けている姿が印象的でした。

てらまち学Vol.1を
振り返って

てらまち学が開学して初めての年となる今回、ちょうど尼崎城の再建と合わせて、尼崎にゆかりの青山幸利という1人の人物にスポットを当てて、歴史文化を学ぶ機会となりました。

その中でご参加いただいた地域のみなさんから多く聞かれたのは、「こんな人が尼崎にいたなんて、誇りに思う。」「知らない尼崎の一面を知ることができてよかった。」ということ。また、ご当地講談を通して地域を知るきっかけがつくられたことで、これまで講談という文化に触れたことが無い10代、20代の地域の方からも「ラップに通じるかっこよさを感じた。」などの感想をいただきました。

このご当地講談をきっかけに、さらに地域に愛着を感じていただける一歩に繋がっていれば幸いです。ご参加いただいたみなさん、ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。

来年度も引き続き、てらまち学では「思わず誰かに伝えたくなる尼崎」を知る講座を実施してまいりますので、ぜひご注目ください!